掲示板の反応

2024/10/06(日) 14:07:00投稿者:日本M&A

ストップ高かもですね!

2024/10/06(日) 10:52:00投稿者:日本M&A

大きい会社は色々ありますね。JALなども沈まぬ太陽など話題出てたね。沈まぬ富士石油、来週本命です✨️

2024/10/06(日) 02:27:00投稿者:9eb*****

”””挽歌・アラビア石油(私の追想録)””” アラビア石油元社員前田高行氏
1993年4月~1995年の2年間子会社日本オイルエンジニアリング出向
1996年~1999年(サウジ鉱業権喪失2000年2月28日の前年迄) JETRO 出向リヤド事務所長の過去の連載ブログ =ネット上で現在も閲覧可能=

富士石油前身のアラビア石油と富士石油の歴史的関係や、筆者が2年間出向された経験に基づく元アラビア石油子会社(現在は富士石油子会社)日本オイルエンジニアリングの実情(会社売上げ規模に不釣り合いな若手石油開発部門技術者米国留学制度等)が詳しく解説されている(筆者前田氏が同社に出向される約半年前、同社が富士石油定修工事の元請会社であった1992年10月16日に発生した17人の死傷者が出た大惨事では、富士石油1名、日本オイルエンジニアリング1名、下請会社8名 (当時の新聞報道では親子揃ってお亡くなりになった東海工機の冨田さん親子=という実に悲惨で残酷な例もあった)合計10名の方がお亡くなりになり、7名の方が重軽傷を負われたこの大惨事の記載は一切無いが、
1990年のイラクによるクウェート侵略から1991年の湾岸戦争によるカフジ鉱業所ミサイル被弾、社員逃避行等は時系列を追って詳しく記載されている。

前田氏が別の子会社に移籍された後(1995年~1996年) 同社は大規模リストラを余儀なくされたが、前田氏の後任の同社生え抜き管理部長S氏は実に短期間の管理部長職時代に自分の職場の仲間である生え抜き社員達
(1980年代の最盛期には200人近くいたが本年3月末には46人まで激減)の大規模リストラ実行役を背負わされて一段落した後に退職されたとかの人間ドラマの描写が実に生々しい。

””挽歌・アラビア石油(私の追想録””は 政府系機関 JETRO の所長を務められた
人の 連載ブログであり、富士石油株主に取っても興味深い記事が満載です、是非とも ご一読をお勧め致します。

2024/10/06(日) 00:25:00投稿者:9eb*****

”””挽歌・アラビア石油(私の追想録)””” アラビア石油元社員前田高行氏
1993年4月~1995年の2年間子会社日本オイルエンジニアリング出向
1996年~1999年(サウジ鉱業権喪失2000年2月28日の前年迄) JETRO 出向リヤド事務所長の過去の連載ブログ =ネット上で現在も閲覧可能=

富士石油前身のアラビア石油と富士石油の歴史的関係や、筆者が2年間出向された経験に基づく元アラビア石油子会社(現在は富士石油子会社)日本オイルエンジニアリングの実情等が詳しく解説されている(筆者前田氏が同社に出向される約半年前、同社が富士石油定修工事の元請会社であった1992年10月16日に発生した17人の死傷者が出た大惨事では、富士石油1名、日本オイルエンジニアリング1名、下請会社8名 (当時の新聞報道では親子揃ってお亡くなりになった東海工機の冨田さん親子=という実に悲惨で残酷な例もあった)合計10名の方がお亡くなりになり、7名の方が重軽傷を負われたこの大惨事の記載は一切無いが、
1990年のイラクによるクウェート侵略から1991年の湾岸戦争によるカフジ鉱業所ミサイル被弾、社員逃避行等は時系列を追って詳しく記載されている。

前田氏が別の子会社に移籍された後(1995年~1996年) 同社は大規模リストラを余儀なくされたが、前田氏の後任の同社生え抜き管理部長S氏は実に短期間の管理部長職時代に自分の職場の仲間である生え抜き社員達
(1980年代の最盛期には200人近くいたが本年3月末には46人まで激減)の大規模リストラ実行役を背負わされて一段落した後に退職されたとかの人間ドラマの描写が実に生々しい。随分と昔にS氏ご本人から直接聞いた話では 東北地方の一流国立大学を出て日本を代表する航空会社に入社後パイロット養成訓練中に視力が落ちて、アラビア石油の子会社日本オイルエンジニアリングに入社されたとの事 不運続きで実にお気の毒な気がする。

””挽歌・アラビア石油(私の追想録””は 政府系機関 JETRO の所長を務められた
人の ”嘘偽りの無いブログ” であり、富士石油株主に取っても興味深い記事が満載です、是非とも ご一読をお勧め致します。

2024/10/06(日) 00:21:00投稿者:9eb*****

”””挽歌・アラビア石油(私の追想録)””” アラビア石油元社員前田高行氏
1993年4月~1995年の2年間子会社日本オイルエンジニアリング出向
1996年~1999年(サウジ鉱業権喪失2000年2月28日の前年迄) JETRO 出向リヤド事務所長の過去の連載ブログ =ネット上で現在も閲覧可能=

富士石油前身のアラビア石油と富士石油の歴史的関係や、筆者が2年間出向された経験に基づく元アラビア石油子会社(現在は富士石油子会社)日本オイルエンジニアリングの実情等が詳しく解説されている(筆者前田氏が同社に出向される約半年前、同社が富士石油定修工事の元請会社であった1992年10月16日に発生した17人の死傷者が出た大惨事では、富士石油1名、日本オイルエンジニアリング1名、下請け会社8名 (当時の新聞報道では親子揃ってお亡くなりになった東海工機の冨田さん親子=という実に悲惨で残酷な例もあった)合計10名の方がお亡くなりになり、7名の方が重軽傷を負われたこの大惨事の記載は一切無いが、
1990年のイラクによるクウェート侵略から1991年の湾岸戦争によるカフジ鉱業所ミサイル被弾等は時系列を追って詳しく記載されている。

前田氏が別の子会社に移籍された後(1995年~1996年) 同社は大規模リストラを余儀なくされたが、前田氏の後任の同社生え抜き管理部長S氏は実に短期間の管理部長職時代に自分の職場の仲間である生え抜き社員達
(1980年代の最盛期には200人近くいたが本年3月末には46人まで激減)の大規模リストラ実行役を背負わされて一段落した後に退職されたとかの人間ドラマの描写が実に生々しい。随分と昔にS氏ご本人から直接聞いた話では 東北地方の一流国立大学を出て日本を代表する航空会社に入社後パイロット養成訓練中に視力が落ちて、アラビア石油の子会社日本オイルエンジニアリングに入社されたとの事 不運続きで実にお気の毒な気がする。

””挽歌・アラビア石油(私の追想録””は 政府系機関 JETRO の所長を務められた
人の ”嘘偽りの無いブログ” であり、富士石油株主に取っても興味深い記事が満載です、是非とも ご一読をお勧め致します。

2024/10/05(土) 21:44:00投稿者:日本M&A

これから株価も上がるって事デスね!\(^o^)/

2024/10/05(土) 20:15:00投稿者:9eb*****

”””挽歌・アラビア石油(私の追想録)””” アラビア石油元社員前田高行氏
1993年4月~1995年の2年間子会社日本オイルエンジニアリング出向
1996年~1999年(サウジ鉱業権喪失2000年2月28日の前年迄) JETRO 出向リヤド事務所長の過去の連載ブログ =ネット上で現在も閲覧可能=

富士石油前身のアラビア石油と富士石油の歴史的関係や、筆者が2年間出向された経験に基づく元アラビア石油子会社(現在は富士石油子会社)日本オイルエンジニアリングの実情等が詳しく解説されている(筆者前田氏が同社に出向される約半年前、同社が富士石油定修工事の元請会社であった1992年10月16日に発生した17人の死傷者が出た大惨事では、富士石油1名、日本オイルエンジニアリング1名、下請け会社8名 (当時の新聞報道では親子揃ってお亡くなりになった東海工機の冨田さん親子=という実に悲惨で残酷な例もあった)   
合計10名の方がお亡くなりになり、7名の方が重軽傷を負われたこの大惨事の
記載は一切無いが前田氏が別の子会社に移籍された後(1995年~1996年) 同社は大規模リストラを余儀なくされたが、前田氏の後任の同社生え抜き管理部長S氏は実に短期間の管理部長職時代に自分の職場の仲間である生え抜き社員達
(1980年代の最盛期には200人近くいたが本年3月末には46人まで激減)の大規模リストラ実行役を背負わされて一段落した後に退職されたとかの人間ドラマの描写が実に生々しい。随分と昔にS氏ご本人から直接聞いた話では 東北地方の一流国立大学を出て日本を代表する航空会社に入社後パイロット養成訓練中に視力が落ちて、アラビア石油の子会社日本オイルエンジニアリングに入社されたとの事 不運続きで実にお気の毒な気がする。

””挽歌・アラビア石油(私の追想録””は 政府系機関 JETRO の所長を務められた
人の ””嘘偽りの無いブログ”” であり、富士石油株主に取っても興味深い記事が満載です、是非とも ご一読をお勧め致します。

2024/10/05(土) 20:09:00投稿者:9eb*****

出光興産富士石油株主としての歴史は非常に浅いが、役員2名を送り込み、更には現場指揮実行社員として 10月1日から業務部長まで送り込んで来た。
前身のアラビア石油時代からの 親方日の丸の ぬるま湯体質にどっぷり浸ってきた富士石油の現役員や社員達も、今年の3月には富士石油袖ヶ浦製油所と原油精製規模がほぼ同じの出光興産の完全子会社、西部石油山口製油所の精製事業を廃止するという大ナタを振るった進駐軍GHQの様な 親会社出光興産の今後の出方に
さぞや戦々恐々の事だろう?

持分法適用親会社の出光興産は戦後の存続が危ぶまれた苦境期 他の石油会社が
やりたがらなかった進駐軍GHQからの命令に従い 原油タンクの底に潜り残っていた原油を回収するという屈辱と同業者達からの嘲笑に耐えた。この実話に基づく大きな話題と反響を呼んだ 映画 ”海賊と呼ばれた男” を見た時は感動で涙がこぼれた。
過去の定修工事元請会社の主要業務として子会社日本オイルエンジニアリングが
実施した定修工事ゴミ回収業務を担当させられたのは当時袖ヶ浦事務所に数十人いた元請け会社の工務課社員ではなく、1983年~1984年の2年間本社から左遷で飛ばされた事務課社員と外房天津小湊からの季節労働アルバイトの様な漁民の皆さんだったが(書面辞令も契約も無い人達に労災保険はかけてあったのか?) 
1985年初頭の日本オイルエンジニアリングの慣れない新規事業(芦森工業東京ガスが共同開発したばかりの導管補修工法パルテム)の工事で発生した労災事故では (会社側のミスで労災保険をかけていなかった為)労災事故の犠牲者が会社を提訴した処、 提訴を理由として解雇され、当時の所長の仲人で社内結婚した奥様とも離婚を余儀なくされ家族崩壊という悲劇が発生してしまったが

(詳細は右上の”前スレッド”をクリックして最終投稿1020番参照願います)

この様な企業体質が7年後の1992年10月16日に17名もの死傷者を出した富士石油袖ヶ浦製油所爆発大惨事を引き起こしたのではないのか?

2024/10/05(土) 20:01:00投稿者:9eb*****

出光興産富士石油株主としての歴史は非常に浅いが、役員2名を送り込み、更には現場指揮実行社員として 10月1日から業務部長まで送り込んで来た。 9月30日に業務開始した本社移転やその翌日の技術部 生産管理部の袖ヶ浦製油所への移転は 筆頭株主で持分法適用親会社になった出光興産の意向が強く働いているのだろう?
前身のアラビア石油時代からの 親方日の丸の ぬるま湯体質にどっぷり浸ってきた富士石油の現役員や社員達も、今年の3月には富士石油袖ヶ浦製油所と原油精製規模がほぼ同じの出光興産の完全子会社、西部石油山口製油所の精製事業を廃止するという大ナタを振るった進駐軍GHQの様な 親会社出光興産の今後の出方に
さぞや戦々恐々の事だろう?

持分法適用親会社の出光興産は戦後の存続が危ぶまれた苦境期 他の石油会社が
やりたがらなかった進駐軍GHQからの命令に従い 原油タンクの底に潜り残っていた原油を回収するという屈辱と同業者達からの嘲笑に耐えた。この実話に基づく大きな話題と反響を呼んだ 映画 ”海賊と呼ばれた男” を見た時は感動で涙がこぼれた。
過去の定修工事元請会社の主要業務として子会社日本オイルエンジニアリングが
実施した定修工事ゴミ回収業務を 当時袖ヶ浦事務所に数十人いた元請け会社の
工務課社員ではなく、1983年~1984年の2年間本社から左遷で飛ばされた事務課社員と外房天津小湊からの季節労働アルバイトの様な漁民の皆さんだったが(書面辞令も契約も無い人達に労災保険はかけてあったのか?) 
1985年初頭の日本オイルエンジニアリングの慣れない新規事業(芦森工業東京ガスが共同開発したばかりの導管補修工法パルテム)の工事で発生した労災事故では (会社側のミスで労災保険をかけていなかった為)労災事故の犠牲者が会社を提訴した処、 提訴を理由として解雇され、当時の所長の仲人で社内結婚した奥様とも離婚を余儀なくされ家族崩壊という悲劇が発生してしまったが

(詳細は右上の”前スレッド”をクリックして最終投稿1020番参照願います)

この様な企業体質が7年後の1992年10月16日に17名もの死傷者を出した富士石油袖ヶ浦製油所爆発大惨事を引き起こしたのではないのか?

2024/10/05(土) 19:50:00投稿者:9eb*****

出光興産富士石油株主としての歴史は非常に浅いが、役員2名を送り込み、更には現場指揮実行社員として 10月1日から業務部長まで送り込んで来た。 9月30日に業務開始した本社移転やその翌日の技術部 生産管理部の袖ヶ浦製油所への移転は 筆頭株主で持分法適用親会社になった出光興産の意向が強く働いているのだろう?
前身のアラビア石油時代からの 親方日の丸の ぬるま湯体質にどっぷり浸ってきた富士石油の現役員や社員達も、今年の3月には富士石油袖ヶ浦製油所と原油精製規模がほぼ同じの出光興産の完全子会社、西部石油山口製油所の精製事業を廃止するという大ナタを振るった進駐軍GHQの様な 親会社出光興産の今後の出方に
さぞや戦々恐々の事だろう?

持分法適用親会社の出光興産は戦後の存続が危ぶまれた苦境期 他の石油会社が
やりたがらなかった進駐軍GHQからの命令に従い 原油タンクの底に潜り残っていた原油を回収するという屈辱と同業者達からの嘲笑に耐えた。この実話に基づく大きな話題と反響を呼んだ 映画 ”海賊と呼ばれた男” を見た時は感動で涙がこぼれた。

過去の定修工事元請会社の主要業務として子会社日本オイルエンジニアリングが
実施した定修工事ゴミ回収業務を 1983年~1984年の2年間実行させられたのは本社から左遷で飛ばされた事務課社員と外房天津小湊からの季節労働アルバイトの様な漁民の皆さんだったが(書面辞令も契約も無い人達に労災保険はかけてあったのか?) 
1985年初頭の日本オイルエンジニアリングの慣れない新規事業(芦森工業東京ガスが共同開発したばかりの導管補修工法パルテム)の工事で発生した労災事故では (会社側のミスで労災保険をかけていなかった為)労災事故の犠牲者が会社を提訴した処、 提訴を理由として解雇され、当時の所長の仲人で社内結婚した奥様とも離婚を余儀なくされ家族崩壊という悲劇が発生してしまったが

(詳細は右上の”前スレッド”をクリックして最終投稿1020番参照願います)

この様な企業体質が7年後の1992年10月16日に17名もの死傷者を出した富士石油袖ヶ浦製油所爆発大惨事を引き起こしたのではないのか?

598 ::2024/10/02(水)12:06:22 ID:pYoobk1k.net

そろそろ富士石油の売り玉作るか

799 :山師さん@トレード中:2024/10/02(水)08:55:34 ID:bGku+d/i0.net

今日は富士石油買っておけばいいや

155 :山師さん:2024/10/02(水)08:54:59 ID:2sU/fKC4.net

富士石油↑

863 :山師さん:2024/10/02(水)08:10:02 ID:JbRR3yQF.net

>>856
富士石油で前に、前場前に+30で爆益だったのに後場スタートでマイナス30食らって泣く泣く損切りしたわ

インペも同じ

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